野中 あやかのプロフィールです。

 

前に一度きちんと書いていたのですが、サイトを削除してしまって新たにこのページを立ち上げたので、書き直します。

 

たまに気が向いたら更新されて行っていますので、未完成ですが、ご確認下さい。

 

専業アフィリエイターになった経緯そして今に至る迄等を記載しています。

野中あやかが何故アフィリエイトに辿り着いたのか?

04月10日生まれ A型

 

どうでもいい所が几帳面過ぎたりする(^^

 

6歳位の物心がついた時から、自分は男ではなく女が良かった願望があった。

 

当時はまだニューハーフとかいう言葉もなく、たまにTVの深夜番組でトランスジェンダーのMTFさんがTVに出ていたりしてるのを親と一緒に見てると、うちの母がいやらしい・・・と言っていて、男から女になる事は嫌らしい事なのか?おかしな事なのか?と自分自身良く分からなくなり、また罪悪感と葛藤する。

 

小学校、中学校は大学付属の小学校、中学校に入り、末は大臣か?と言われる位親、親戚に期待される。

 

小学校の2年生位迄はちゃんと学校の勉強をこなしデキる子だったが、小学校3年生位から担任の先生によく怒られる様になり、また内面的には女になりたいと思いつつ、周囲にさとられてはいけないと思いその反動で悪ガキルートをたどり始める。

 

回りは属に言う英才教育を受けた生徒が多く、学校1浮いた存在になるが、それがまた面白くて更にエスカレートしていく。

 

そんな中、小学校の3年生位からどんどん学校の勉強をしない様になり、ついに学校で最後から2番目の学力になる。

 

これではいけないと親に無理矢理塾に入れさせられ、無理矢理塾に通わされるが、勉強をしたくないので、よく塾に行ったふりをして近所のスーパーの入り口にある出店の焼き鳥屋さんにたむろする様になる。

 

ある日焼き鳥屋さんのお兄ちゃんが、もう家に帰ると、店を出て、スーパーの前に止めてあった車にエンジンをかけた時に車の中から流れて来る音楽に痺れた。

 

15歳でバンドを始め、音楽の面白さを知り全く学校で教わる勉強をせずにギターの練習ばかりする日々を過ごす。

 

25才位の時にひたすら音楽活動をする中で、DTMにも目覚め、自宅にスタジオを作りたくなって来る。

 

軽く説明しておくと、DTMというのはデスクトップミュージックの略で、パソコンの中で音楽を作る事を指します。

 

TMNの小室さんとかaccessの浅倉大介さんとかがその最先端を行ってた方々でやるとめちゃくちゃ面白くて、音楽好きなら夜眠れなくなります。

 

DTMを究めると、曲作りのセンスも必要になりますが、極めると例えばこんな曲ができます。

 

 

この頃からバンドもそこそこお金がかかるが、DTMにもかなりのコストがかかり出す様になり、機材を買う為に働いて投資をしてという日々を5年間位過ごす訳です。

 

そうこうしてる間に北新地のホステスとして(いや・・・ホステスじゃない。ホストス(^^)。、Dollyドーリーという老舗のニューハーフの店で働き始める日が来て、ここからしばらく音楽活動を中断して、ガチでお釜になる『ガチ釜』の修行が始まる訳です。

 

当時の言葉で言えばニューハーフ、(当時はMtFなんて言葉が無かった)今の言葉で言えばMtFの道を突き進み出す。

 

お店はニューハーフさんとマネージャーやチーフがFtM(ニューハーフの反対 女→男)で構成されていて、結構この手のお店はいびりがあったりするんだけど、ママがすごく従業員さんを大事にしてくれるお店だったので、一緒に働いてる姉さん方も良い人ばかりだった。

 

もちろん怒る時は怒られるんだけど、従業員全員、家族の様なお店だった。

 

そのお店では5年位働きました。

 

辞めた理由は、音楽活動をする為に事務所に所属する話があって、元からやりたかった音楽活動に専念したかったからなのですが、そこから音楽活動を再開しつつ、色々な仕事をしてましたね。

 

機材を買う為に働き、バンドをする為に働き、おまけに自分の美も磨きたく、とにかくお金がかかる、しかし、バイトを3つ掛け持ちして頑張ってもせいぜいよく稼げて40万円前後の収入位が昼間の仕事ではMAX値だという事を知ると同時に、音楽をやって夢を追う人がどうして貧乏になるのかも知る事になります。(笑

 

その当時は睡眠時間も、バイトを掛け持ちしながら、音楽活動をしていた為2~3時間の睡眠がザラでした。

 
私が以前やってたバンドです。歌を歌ってるのが私です。

 

 

この生活を繰り返してるうちに、自分は音楽をしたい&女になるべく体のケアをしてるのに、1日中働いて働いて働き倒さないといけない事に矛盾を感じ始め、誰かに雇われて働くという事が本当に嫌になって来る。

 

嫌になりながらもいくつもの仕事で働きました。

 

テレアポ、スナック、喫茶店、家で喫茶を営業もしたが、何をやってもどんなに頑張っても自分の理想の収入には絶対に届かない事を自覚したんですね。

 

このままではダメだと思った時に、1つだけ自分の理想を手に入れる為の手段になるのが、ネットビジネスの様な気がしてならなかったんです。

 

ネットビジネスに関してはバンドをやっていた頃から、SEOを制する事が出来れば、どんな商売でも上手くいくと気が付いていました。

 

だから、SEO関連の本を本屋で立ち読みしたり、お金が無かったので、近所の図書館に今販売されてる本を予約して借りて勉強したりしていた。

 

当時の勉強はSEOのみ。

 

ネットで稼ぐにはSEOが必要不可欠だと思っていたからです。

 

ほぼほとんどの本を読んでいたのですが、ほとんどの本の中には、超基本的なSEOの事しか書いて無くて、もちろん当然全て実践してたけど、それだけでは全く結果が出ませんでした。

 

凄まじくバイトをしながら、バイトが終わったらスタジオに直行して終わったらミーティング、帰るのは深夜1時、そこから家に帰ってアフィリエイトそして寝るのは午前3時~4時位、また朝7時30に起床。

 

こんな生活をひたすら続ける中で、これはこのままアフィリエイトを勉強してても絶対に結果が出ないなと悟ったんです。

 

何かを変えなきゃいけない、このまま本を読んでアフィリエイトをしていても、インターネットで検索で調べた情報でアフィリエイトをしていても一向に結果が出ない、そう思って自分の中で、焦りと疲れがありました。

 

そして私は、アフィリエイターさんのメルマガを読み始めたのです。

 

アフィリエイターの見習い時代

 

そしてそのアフィリエイターさん達のメルマガを読んでいると、これが軸教材です。

 

とか、『アフィリエイト手法の無料プレゼントです』とかアフィリエイターさん達が下さる無料のプレゼントをどんどん貰って行ったんですね。

 

どれも大抵はかなりの超高額塾で、大体30万~50万位で、塾で学べばスグに濃厚な情報をガッツリ学んで稼ぎ始める事が出来る事は分かっていたもののなかなか入れず。

 

その中で無料から始められるアフィリエイトの教材を見つけました。

 

2か月目から課金だったのですが、その教材を少し見た時にこれはいけると思ったので、1カ月後に当時は米を買う予定だった米代や食費として用意してた分をほとんど突っ込んでその教材を購入したんですね。

 

それから毎日その教材を実践してはマニュアルを読み、実践してはマニュアルを読みを繰り返して、遂に初報酬300円が発生したんです。

 

その時はものすごくうれしくて部屋で一人で飛び上がりました。

 

たった300円?で?と思われるかもしれないですが、これが月収100万円以上を稼ぎだす私の今に繋がる訳で、この時5年も毎日毎日作業して報酬を発生させる事が出来なかった超巨大な洞窟の中の扉が、大きな音を立てて外の世界へといける光とドッカーンと地響きと共にやっと開いてくれた様なそんな感じでした。

 

これはいけると思った私は、更にそこから作業を続けたのです。

 

300円の報酬からその後どうなってどういう経緯をたどったのか?